同台経済懇話会

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同台経済懇話会の事業

出版事業

「草萌え―同台経済人の記録」
(1〜6巻)の発行

「昭和軍事秘話」
(上・中・下巻)の発行

「同台経済懇話会講演選集」
の発行

「近代日本戦争史」
(全4巻)の発行

「大東亜戦争の本質」の発行

「同台経済懇話会 30年のあゆみ」
-祖国復興に尽くした陸軍出身経済人の記録-の発行

この副題にあるように伝統に培われた情誼に溢れる会の運営のもと、30余年に亘り和気藹々と研鑽協力しあって、企業・業界のために奮闘し、また日本の精神復興のために尽力した実態が生々しく記録されている。1,453名に及ぶ会員名簿と共に、陸軍将校の戦後史ともいうべき貴重な資料である。後世に残し伝えるに値するものといえるだろう。
会員並びに遺族にもお送りし、国立国会図書館その他主要な団体・学校・マスコミ各社にも寄贈している。

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30周年記念事業
電子ブック「同台出版全集」(平成16年12月発行)

本会が刊行した
昭和軍事秘話     上中下 3巻
近代日本戦争史       全4巻
大東亜戦争の本質       1巻
同台講演選集    昭和篇・昭和篇追加篇・平成篇

の全部をCDに纏めたもの
極めて貴重な軍事史並びに本会で講演した昭和・平成の政界人、経済人、学者・官界人の珠玉の講演集。

※ 書籍の中には、残部のあるものもございますので、購入ご希望の方は、同台経済懇話会事務局までお問い合わせください。

同台経済懇話会が書き遺したもの

 顧問 舩木 繁(47期)

 当会は、昭和50年発足以来、他の団体や出版社には為し得ない多くの貴重な書物を発行した。
 その内、主として会員向けのものは、「草萌え」「昭和軍事秘話(上・中・下)」「同台経済懇話会講演選集」の三部であり、一般にも市販したのは、「近代日本戦争史(第1、2、3、4集)」「大東亜戦争の本質」の二部である。
 私は、以上の書の編集に携はったので、“あとがき”的に、それらの趣旨や経緯と内容の要点について書き遺しておきたい。
 「草萌え」は発会後、同台経済人の自己の記録として、昭和53年の第一集から63年の第六集まで、会員有志の寄稿を編集したもので、この題名については当時の代表幹事瀬島龍三氏(44)が、第一集の挨拶の中で、次のように述べている。
 「一面の焼野原となった国土の処々に“草萌え”のように新しい芽がわずかに頭を出しました。その芽は厳しい風雪に耐えてやがて若木となって天に向かって伸び、此等の木々が集まって林となり、森となりました。同台経済懇話会の会勢を見て、“草萌え”から力強く育った林や森の姿を想い起こしますが、この一篇に収められた記録は、期の新旧を問わず多年辛苦の年輪を重ねた喬木のおもむきがあります。そしてその壮なる形を見るにつけ、大東亜戦争で犠牲となった人達と、身命を捧げた先輩、同僚、後進の士を想うこと切なるものがあります。」
 寄稿したのは、陸士35期から幼校49期までの193氏で、特に当時陸軍の最長老であり当会の名誉会長をお願いした辰巳栄一中将(27)と、皇族の竹田恒徳氏(42)から貴重な半生記をいただいて、錦上更に花を添えている。
 「草萌え」が編集された十年間は、まさに昭和におけるわが国経済の高度成長期であった。
 この時期会員諸氏の足跡が、文字通り焦土からの芽が喬木に育ち、集って林となり森となって経済の発展に寄与したことを、各々秘かに自負されていることと思う。そしてこの会員の本質を適切に述べている“「草萌え」の終刊にあたって”と題する常任幹事の後書きは、会員の心に訴えるものが大きいだろう。

 「同台経済懇話会講演選集」は、平成元年11月、当会の創立15周年記念事業として、月例会における政財界のトップの人達の講演の中から36氏を選んで編集したものである。
 月例会の講師は、何れも各階におけるリーダー的存在として活躍している人達で、多忙の中を快く引き受けたのは、瀬島代表幹事自らが交渉に当たられた結果であって、今更ながらこれだけの人々が来講されたことに驚くと共に誠に感謝に堪えないところである。
 講演は、昭和50年6月から63年10月までに行われた中から収録されたが、この時期は、前述のように経済発展が続くなか、高度成長は二回の石油ショックのため低成長に減速するのを余儀なくされた時期でもあった。ついで翌64年1月7日には、昭和天皇が崩御され、文字通り昭和は終わったのである。まさに戦後の荒廃から立ち直って、見事に世界第2位の経済大国にのしあがった時代であった。
 その後は一転して平成不況となるのであるが、後世から見てまさに昭和の代表的人物の名講演であり、心に残る名訓・経綸の書と申し上げてよいものと思われる。

 「昭和軍事秘話(上、中、下)」は、昭和62年12月から平成3年4月にかけて同台クラブの講演集として発行された。
 このクラブは、先輩方が健在な間に戦争中の本音や秘話を伺っておこうという声が強くなり、昭和58年から月例会後の二時間を充てて講話を聞くことになった。
 毎回然るべき先輩の話を伺ってみると、今迄聞いたことのない貴重な内容が多く、まさに昭和軍事史の核心に触れるものがあり、後世のため書き残しておくことになった。しかし当時はまだ関係者も多く迷惑になってはと、会員限りで発行したのである。
 内容は、明治時代からの日米関係にはじまり大東亜戦争の終戦処理までに及んでおり、冒頭に竹田恒徳氏から承った「皇室と陸軍」のお話を載せ、なお昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御されたので、当時侍従武官であった尾形健一大佐(37)の非公開の「侍従武官日記」の一部を森松俊夫氏(53)が披露して、御聖徳を偲び奉った。
 講演は50回に及び、何れも迫真の証言であるが、特に注目すべきものを二、三挙げれば次の通りである。
 辰巳将軍の「吉田さんの想い出」では、吉田茂元首相が晩年将軍に、再軍備しなかったことに深々責任を感じていると率直に語っているが、このことが今日の政治の混迷を招いたことを考えれば、その意味は重大である。
 また中原茂敏氏(39)の「国力なき戦争指導」では、昭和十二年支那事変がはじまった頃から国力は消耗する一方なのに、当時の軍首脳がアメリカと戦争しても南方の石油を確保すれば何とかなるというムードに包まれていたと痛烈に指摘し、「作戦課のなさっていることを見ておりますと、国力をそっちのけにして作戦ばかりなさっていたようです」と皮肉っている。
 支那事変の発端となった蘆溝橋事件については、桂鎮雄氏(46)は、昭和12年7月7日夜の日支両軍の衝突は、その中間に侵入した中共分子の誘発射撃によるものと証言して、戦後流布された日本軍先制攻撃説を否定している。(これが今日では定説となっている)
 また圧巻なのは、支那事変前から大東亜戦争末期に至る参謀本部の動きについて、体験的に要述した今岡豊氏(37)の回想である。これは統帥部の作戦指導と之に伴う戦争指導の実際が要約されていて、今や軍事研究者の中心的資料である。
 この3巻は、まさに昭和の戦争の軍事面について秘められた宝の山である。

「日本近代戦争史全4巻」
 戦後も半世紀近く経ち、時勢も変わりつつあった。この辺で大東亜戦争をはじめ、陸軍の戦争史全般について、正確な史実を書き残しておく必要があるという意見が強くなってきた。海軍でも明治初めからの海軍史の編纂に入るとのことでもあった。
 偕行社にはその考えはないということだったので、当会が創立20年記念事業として、衆知を集めて実行することになったものである。
 副代表幹事下山敏郎氏(58)が刊行委員長となり、奥村房夫氏(49)が編集委員長、植田弘氏(57)が出版委員長となって刊行委員会が発足した。
 奥村房夫氏は、陸大59期、戦後は早稲田大学同大学院を出て、拓殖大学、秋田経済法科大学の教授を歴任、後に世界平和研究所委員となり、その学名は高く、金鵄勲章を持っている希有の国際政治学者である。植田弘氏は公認会計士として経済界に顔広く、また諸先輩の出版もされており、出版頒布にあたっては自ら書店の店頭に足を運ぶ等熱心に尽力した。
 また下山刊行委員長の好意によりオリンパス光学工業(株)の会議室を編集のため利用できたことは、この事業の促進に大いに役立った。
 執筆者は、主として偕行会員中の適任者(元・現大学教授、防衛研究所戦史編纂官、防衛大学校戦史教官等)及び一般大学の教授等に委嘱した。
 全体の構成は、明治建軍過程、日清・日露戦争を第一編。大正時代を第二編。満州事変、支那事変を第三編。大東亜戦争を第四編として編集した。内容は、軍事に止まらず関連する政治経済・社会情勢・世論等各分野にわたり、加えて外国著名学者の寄稿も得て、学術的にも十分学会の批判に堪え得るものになっている。
 本書は史書であって史論ではなく、戦争の相対因果関係を忠実に解明することにつとめている点に特色がある。
 前述の「昭和軍事秘話」は、この史書の内容を当事者によって更に掘り下げて要述したものであり、両書の関係箇所を併読すれば、この上ない軍事史書となるだろう。

 「近代日本戦争史」の完成に続いて、平成八年六月「大東亜戦争の本質」を刊行した。これは戦争史の編集委員が、その担当した戦争史を通じて、大東亜戦争の意義を多面的に省案した史論である。
 「日本は何故負けたのか」という問題は、戦後誰もが持つ疑問であり、特に陸軍に志した者にとっては、終生背負いつづけるべき重荷のようなものである。「大東亜戦争の本質」は、この問題に対し、特別の感慨をもって自問自答しつつ精魂を傾けて執筆した結論である。従ってこの書は、同時に深い反省の書であり、戦陣に殪れ或いは戦争の犠牲となった人達に対する鎮魂の書であり、ひいては次の世代に対する遺戒の書でもある。

 なお、これらの貴重な出版の事業については、一貫してその出版企画と販売を担当し、会員全体に対する理解と協力を求め、財務的にも成功裡に事業を推進した常任幹事を中心とした事務局と、全会員の一体となった販売協力があることを特記し、感謝したい。まさに会員全体の出版事業だったのである。

 最後に、当会の副代表幹事から顧問になられた金富輿志二氏(45)の功績について、特に銘記しておきたい。
 金富氏は、当会の創設者の一人であり亡くなる迄会の発展のに尽力され、特に以上述べられた一連の事業については並なみならぬ意欲を以て終始リードされた。
 「昭和軍事秘話」では、自ら講演の適任者を選んで交渉され、また「近代日本戦争史」の刊行にあたっては、その刊行の最初からの発起人であり、非常な熱意をもって編集出版の全般について自ら会議を指導して調整され、その促進をはかった。
 日頃は口癖のように「この会をつくってよかった。皆に喜んでもらってなによりうれしい」といっておられたが、最後の「大東亜戦争の本質」の刊行を終わった時、「これが我々の遺言だな」と述懐さており、この会や事業に対する万感の想いが偲ばれる。
 平成9年11月20日、京都東山、霊山護国神社にパール博士顕彰碑完成記念式典が盛大に行われた。パール博士碑の建立についても最初からの推進役だった金富氏はこの日を非常に楽しみにしておられたが、その4ヶ月前の7月7日、病にわかに革まり、惜しくも逝去された。